がん闘病の記録 byみみ

2022.2 乳がん発覚 1995年生まれ

乳がん発覚まで③〜がん告知〜

 

乳がん発覚まで①②を書いてからだいぶ経ったけど、

記録のため③も書いておこうと思う。

 

 

クリニックで精密検査を受けてから1週間、

結果を聞きに行った。

 

平日3時の予約だったため、

仕事は早退させてもらった。

 

半分の確率で悪性、

お医者さんの

“結果が悪い場合色々と説明があるから

早めの時間で予約を取ります”

という言葉か、

 

あぁ、多分悪性なんだろうな、

そんな気持ちで1週間過ごしていた。

 

もし良性だったら、

がん保険に入ろう、

しこりがあるのに変わりはないから、

定期的に通院しよう、

と考えていた。

 

病院の待合室での時間が

すごくすごく長く感じた。

 

診察室に入ると、

“◯◯さんお仕事は?”

“今日は1人できたの?”

と聞かれ、

 

悪性だったんだ。

 

“家族は精密検査を受けていることは知ってるの?”

“家族にも話を聞いてもらったほうがいい”

 

と言われたため、

診察室を出てすぐに両親に電話をかけた。

 

両親もがん検診で引っかかったことは知っていたが、

それほど心配をしていなかった。

 

父母ともにこの時間は仕事中で

母は電話に出なかった。

 

父は繋がったため、

“検査の結果、乳がんだった”

“家族に病院に来てもらって話を聞いてもらう必要がある”

と伝えた。

 

父はびっくりはしていたけど、落ち着いて聞いてくれた。

父に病院に来てもらう日を決めた。

 

診察室に戻り、先生の説明の続きを聞いた。

乳腺内の広がり、全身の状態を確認するため、

まずMRIとCT検査が必要とのことだった。

 

最短で検査を受けたいと伝え、

その場で設備のある病院に予約を取ってもらった。

 

正直このとき頭が真っ白で、

あまり覚えていない。

 

そのあと別の部屋に移動し

看護師さんからいろんな説明があった。

 

ネットには正しい情報もそうでない情報もたくさんある、調べるなら国が出している?

サイトから情報を入れるように言われた。

 

もう、ずっと泣いていて、

会計もその部屋で済ませてもらった。

 

最後に今日からの生活はどうすれば良いか先生に聞いたところ、

 

“今まで通りの生活をしてください”

“特に気をつけることはない”

“検査をしながら仕事も続けてください”

 

とのことだった。

 

この先どうなっちゃうんだろう、

私の人生ズタボロになっちゃった、

 

そんな不安でいっぱいだった。

 

このとき体調不良は長かったため、

死ぬのかなとか考えることはなかったけど、

 

生存率とか見るのが怖くて、

自分の病気のことは調べられなかった。