がん闘病の記録 byみみ

2022.2 乳がん発覚 1995年生まれ

手術後の地獄

 

 

“〇〇さ〜ん”という声かけで目が覚めた。

目を開けると手術室だった。

 

乳腺外科の先生から

“予定通り手術は終わりました。

リンパ節転移はなかったです”

 

そう言われてほっとした。

喉に違和感があり少し苦しかった。

 

“挿管していたので違和感があります”

と説明があった。

 

移動用のベッドに移され

エレベーターで病棟まで運ばれた。

 

看護師さんが

“お母さんがお守りと水を届けてくれました

棚に置いておきます”

と言っていた。

 

多分このとき夕方で消灯の時間9時まで

目が覚めまた眠りというのを繰り返していた。

 

部屋が真っ暗になったころ

目が冴えてきた。

 

痛い、、、、

胸が痛い、動かなくても痛い

動かすともっと痛いので手も動かせない。

 

点滴で鎮痛剤を入れてもらったが

それでも痛い。

 

下半身は痛みはないけど、

尿の管がなんか気持ち悪い。

 

酸素マスク、心電図、血圧計、脚の血栓を予防するマッサージ機のようなもの、尿の管、酸素測定器などなどいろんなものが繋がれていた。

 

寝ようと思っても目が冴えていて全く寝れない。

上半身がめちゃくちゃ痛い。

動けない。

真っ暗で周りには誰もいない。

暇だけど映画を見たり本を読んだらすることはできない。

寝ようと目を閉じるけど全く寝れない。

 

暑い、顔が汗をかいて

酸素マスクがずり落ちてくる。

 

時間が全然過ぎていかない、

いつになったら朝になるのかわからず地獄の夜だった。

 

多分5時ごろに眠り気がついたら外が明るくなっていた。

 

朝食の時間になりご飯が運ばれてきた。

痛くて食欲がなかったが半分くらいはなんとか食べることができた。

 

昼前に色んな管が抜けた。

すっきり。

 

残ったのは左の点滴と

手術した場所から出る浸出液を貯めるためのドレーン。

 

朝方は看護師さんに体を動かしてもらったり

水を飲ませてもらったりしていたが、

この頃にはだいぶ自分でできるようになっていた。

 

スマホととり、家族にLINEをした。

 

午後からは映画を見たり本を読んだりして過ごしていた。

 

今日看護師さんが言っていた

家族が届けてくれたお守りを思い出して

手に取った。

 

f:id:kumako2525:20220503160705j:image

 

手紙を読んで泣いた。

 

 

時間が経つにつれ痛みが落ち着き

楽に動けるようになってきた。

 

ドレーンに溜まった水の量が30を切れば

翌日管を抜くことができ、翌々日退院となる。

 

入院は7〜10日と言われていたが

今日で8日目。まだちょっとかかりそう。

 

いま連休真っ只中。

社会人5年目のGWはほぼ病院で過ごすことになってしまった。

 

毎日とにかく暇だ。